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苦労しろ大学 

ネット大学を目指します とりあえず東洋医学の普及です 鬱・頸椎症 西洋医学で見放された人はどうぞ

生悟り

この世のことは誠にうつりかわる。だが我々は絶対を信じているので不幸である。
移り変わりを受け入れよ。

この私という者は根本的に諸関係のもとで生まれた者でいつも同じではない。

だから移り変わるから、人生で苦は避けられない。

ただし同様に、人生の合間合間にはこころ安らぐ瞬間がある。一瞬の友の交流、ヨガやスポーツ、学問でのおもしろさ、スケベ心の適正さ。。希望はある。

これは諸行無常諸法無我一切皆苦涅槃寂静という

釈尊の四つの基本の教えである。

では仏はどこにあるのか?

日常である。禅宗に由れば、日常にこそ、仏がある。

些細な掃除、些細なお茶、そこにこそ悟りがあるのではないか?



しかしここに矛盾がある ではこの四法印という教えは絶対ではないのか?

絶対というものもあるのではないのか?

たとえばコップは一元は違うが次の日もコップである。これは絶対に昨日と同じではないが、まるで違ってしまうわけでもない。

中道を持ってこれに当たるべきである。上の聖なる教えも行きすぎず、侮りすぎずにありがたく使うとよいと思う。

また文字で学び文字を離れて、身につけると言うことが大事である。

これは私は茶碗洗いで学んだ。私の家計は貧しいので節水しながらお茶碗を洗う。

これ予算制約下の効用最大化ではないか? 私ははじめてここで身につけてそれを行うことができたのだ。