資本論 剰余価値 剰余価値学説史  MBA

超人ロックになる大学 

超能力研究者コンタクト取りたし

お断り

いまブログを読み返して思ったのだが、あまり品位というものにかける。
できる限り改善していくが、このブログはもともと私の雑記帳的なブログで例えばコンサルタント業を始めるとしたら、公式HPと内容にそれなりの責任を持ったブログを別に作るが、このブログはむしろそういう思考制限をかけないブログであるゼロベースブログだ。ただ私は本当に今の経済学には怒っているのだが、あんまり下品な罵倒その他は辞めたいと思う。
そもそも新古典派マルクス経済学がなかったら私がイノベーションした資本ゲームもなかったし、近代の危機なんてモノにはぶち当たらなかったし、その意味で新古典派の先生やマルクス経済学の先生にも礼を尽くしたいと思う。それでも言いたいことは言う。そういうスタンスでこのブログは続けたい。自民党タカ派の方にも奴はまずかった。なぜそういう表現を取ったのかというと短期的タカ派戦略で資源を無駄にしているのに腹が立ったからだが、そろそろそういうのにもやめたい。例えばビートたけしが戦争をすりゃいいじゃん好景気になるからさ、レベルの話だと思えるからだ。そんな楽観論は資源の危機を考えない戯言だ。近代の危機を意識してれば近代国家そのものがこの資源の危機という大問題に協力して立ち向かうべきで、組織論の基礎だが、共通目標は近代国家をまとめる力になるはずだ。まずは近代を続けることそういう意味では私は保守主義である。
敬意は払うが言いたいことは言う。大先生マルクスの批判から始まって、ほとんどビジネスブログと化してるが、リアルなビジネスを語ることこそ、マルクスがゼロベースで資本主義を批判した精神ではなかったか?
とにかくマルクスだったらこう考えるとかいう本を私が書くとしたら
大前研一からMBA新古典派会計学とにかく経済経営というものを雑食するだろう。今のマルクス主義者は視野が狭すぎる。マルクスという男はマルクス主義にこだわる男ではない、ブルジョア経済学に誰よりもこだわり、その上で、結婚制度、分業などありとあらゆるものをゼロベースで考えた男。今で言えば大前研一を視野をもっと広くしたような男だ
柄谷行人会計学でも学ぶべきなのだ。彼はマルクス主義者だがくじ引き
は面白いが、それだけだ。マルクス主義者とマルクスは全く違う。もちろんマルクスも視野には限界があったわけなのだが、視野が広く、ゼロベースで考えることだろう。主義的には私はアダムスミス主義に近い。彼の意図が貧民救済にあったことをどれだけの人が知ってるのやら。金は儲けてもいい。貧民はただし救え。これが彼が理論付けた市場社会、神の手のルールである。年収1000越えとかネットビジネスで大成功とか言っている人には貧民救済を命じる。これは神の言わせてるメッセージだ。神が強欲だけを愛すると思うのか。豊かになってもいい。神の手は不完全ながらある。だが貧民救済を忘れるようではアダムスミスが墓の中で泣くぞ。アダムスミスの作ってくれた理論でお前らは金儲けできるのだ。そのことをゆめゆめ
忘れるべからず。ニーチェが生きていて神がまだ生きていることを知ったら、
こういうだろう。なんということだ。超人とは与えるものだった。
ゆめゆめ近代の終わりの危機を忘れるべからず、強欲と権力欲も大事だがその力の源泉は最後の審判たる近代は神が与えた資源の上にある。唯物論とは実は神の与えた資源の問題だった。アダムスミス、マルクス重農主義から始まったように、天然の力を侮ってはならない。また神の手のひらの上で踊る私である。