資本論 剰余価値 剰余価値学説史  MBA

カールマルクス・トマピケティ、国家公務員情報局 

超能力研究者コンタクト取りたし

完全競争市場とアダムスミス型市場、リンダール均衡

国際公共財を考えようと、

公共経済学の理論と実際

公共経済学の理論と実際

を読んでいる。ナショナリズムでも同じである
まず指摘しておきたいのはアダムスミス型市場は市場の失敗、さらに資本主義のジレンマと効用を含む物であり、
アダムスミス型市場≧完全競争市場

であって
完全競争市場の失敗をアダムスミス型市場と混同してはいけないと言うことだ。

その意味で完全競争市場が失敗だから市場の失敗だというのは不正確な表現である。

また市場の失敗と言うがアダムスミス型市場には完全競争市場にはない
イノベーション、規模の経済、マーケティングなどを含んでおり、

公共経済学を考える上でその効用と欠点も考えて市場の失敗と言わないと

何ら現実的な議論ではない。

完全競争市場はイノベーションも規模の経済も、マーケティングもないで伝統的市場である。

だからまず完全競争市場の失敗を持って市場の失敗というのではなく

完全競争市場の失敗は完全競争市場の失敗なのである。

そこを新古典派はわかってないんじゃないかという言う気がする。

リンダール均衡は完全競争市場の失敗で公共財を使う物だが

アダムスミス型市場の失敗で公共財を考えないと、不満足である。

まあアリンダール均衡が完全競争市場を補完すると言うことはアダムスミス型の市場の失敗
に対する公共財の理論を新古典派が持ってないんじゃないかと言うことだ。

とまああざっと読んでみた。

とはいってアダムスミス型市場の失敗に対する公共財のあり方はまだ私も

完全競争型市場の理論をでる物ではないわけだが。


ちなみに世間で言う新自由主義とはアダムスミス型市場原理主義と言うことで
完全競争市場の原理主義新自由主義とは別物である。むしろ新古典派は実は伝統的何のだが

新古典派自体それをわかっていないような気がする。

たとえば数学に頼りすぎてるが、資源の希少性 経済<自然である。
を考えると完全競争市場はどこにもない



簡単な例を出そう。土地は限られている.誰も自由には店を出せない。

自由参入は幻影である.よって完全競争市場は実際にはない。証明終わり。



資源の希少性のあるところで自由参入と産出はあり得ない
何らかの資源的な制約がある。

資本ゲームで書いてみようMはミラージュ幻影である。

第一期

1.2     完全競争市場   アダムスミス型市場

完全競争市場    M5M5          M1,1

アダムスミス型市場 M1,1         3,3

第二期

1.2     完全競争市場   アダムスミス型市場

完全競争市場    M5M5          M1,1

アダムスミス型市場 M1,1         6,6
――――資源の希少性の限界 資本主義の限界

     第二期

1.2     完全競争市場   アダムスミス型市場

完全競争市場    M5M5          M1,1

アダムスミス型市場 M1,1         6,6

アダムスミス型市場の単純再生産。

ということになる。

たとえば九条で話題になっているが

このモデルを示せばよい
大国主義は資源の限界で行き詰まる
いずれ単純再生産によるアダムスミス型市場を目指さなければならないと。
その棲み分け、保守 伝統、または単純再生産型イノベーションが大事である。

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