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資本最大化を新古典派にくみ入れよ

井堀の公共経済学で最も違和感を感じたのは利潤最大化モデルを
古臭く取り入れてる点だ。新古典派は資本最大化を動学的に取り入れなければならない。理由、現実の企業は拡大再生産であるからである。
また、地方も資本蓄積が違えば東京や近畿などのように資本蓄積できない。バックルッキング、資本蓄積がの視野が欠けている。地方は、
同じように都市化を目指すか、経営資本構成を変えて差別化を図り収益化するかである。はっきり言えば、ミクロマクロ経済学も古臭いから公共政策がうまくいかない。まずマルクス経済学からの資本概念の切り離し、金銭資本と手段資本の区別、利潤最大化ではなく資本最大化でモデルを組むこと。なぜなら企業の現実は資本最大化で、複数均衡あるものの(例えば町のパン屋がいきなりヤマザキパンにはなるまい)拡大再生産だ。
それが現実である。だからダンピング、戦略、成長路線などあるのだろう。
利潤最大化は数学的に容易な経済学のための経済学のモデルでしかない。
またフォロワー経済では完全競争市場もあるが、
完全競争市場にたよった分析ではなく、不完全競争市場でモデルを組むこと。これはゲーム理論である程度進んで入るが。またフォワードルッキングだけでなく資本蓄積のバックルッキング、ナウルッキングの三種類の視点を持つこと。つまりギターで曲を弾く時は、自分の手持ちの資本、持ち歌を今の気分で、客にどのくらい受けるかなと予想しながら歌うのである、合理的期待というものがあくまで数理モデルの限界で実際には非現実的な仮定であることをうけいれること。例えば競争に勝つ企業は合理的な予想ができるか?
答えはイノベーションの解でも見ていただきたい。惨憺たるものである。
アロードブリューでマクロモデル作るのではなく独占や寡占、戦略を取り入れたマクロモデルを作る努力をすること。

最低限そのくらい必要である。少なくともそれを目指さなければ経済学の将来は暗い。私は経済学者に失望とか誹謗するつもりはない。奮起をお願いしたいのである。経営学は金儲けの学問である。それはそれでいいだろう。それを持って社会貢献するからだ。だが経済学はそれを調整できなければなるまい。経営学と経済学の調和こそ求められている。奮起されたい。