資本論 剰余価値 剰余価値学説史  MBA

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超能力研究者コンタクト取りたし

共産主義者には残念なお知らせ。

まず残念なおしらせをしなければなりません
コモディティ化した一般均衡完全競争社会は果たして長期的利潤がゼロになるという状態をやっていけるのか、規模の経済、範囲の経済に対応できるのかが問題になります。この点で、ミクロ経済学の本で調べ直してみました。すると規模の経済、範囲の経済というシェアを持たない理念的な存在で、シェアを持つことはあり得ない。そうするとイノベーティブやマーケティブという商品でないコモディティであっても、規模の経済、範囲の経済を持たないことには商品生産は不可能ですから、経済的、健康的、心理的のうち、経済的に不可能だということになります。つまり共産主義は不可能です。

それでは資本主義のジレンマ。1市場の失敗を原則としなければならない。2ピケティジレンマr>gの解消。3環境問題等14の価値はどうなるかを考えていくのが、このブログの目標になりましょう。
今までの流れは
資本論を一巻から読まず、剰余価値学説史から検討したこと
2その結論として重農主義から天延価値を見いださなかったことにマルクス剰余価値説の欠陥を見いだしたこと.14の暫定的価値のカテゴリーを作ったこと
ミクロ経済学一般均衡共産主義の可能性を見いだしたこと
4だが上記のような思考で経済的に不可能性を見いだしたこと
5その上で人間解放というのは何かということを考えるのがアフター・カール・マルクスについて考えることであることだと思います。


ではそもそも人間とは何かということですが、これは私は14の価値からできているものだと仮説します。まず釈迦が悟ったようにアートマンや自己というものは存在しません.「自我」は存在します。ただしすべて自分のせいだといえる自己はヤハウェであるとかアラーであるとか絶対的な神でなければいえないことです。たとえばこの世が悪いのは俺のせいだという人がいるとします。あなたが世の中を作ったんでしょうか? すべての世の中を作った人はいません。もちろん生きていく上で自我はあり、影響力はあり、そこに責任はあるのですが、人間はマルクスが下部構造といったり、ウェーバーが上部構造といったりした環境の中で、これはまだ仮説ですが、14の価値をフレームワークに自我が生まれ、その影響の範囲で責任があるということだと思います。
だから私は自己責任論を否定します.自我責任論です。
釈迦もアートマンを否定しますがLCLの海の中に溶けたわけではありません。
きちんと自我を持ち、周りの人を悟らせるという慈悲を行ったから偉大なわけです。